峯山庵だより    たちばな屋善作

北条時宗が第8代執権につく数年前を時代背景としています。極楽寺の医療僧の一人である渋柿坊が宋渡りの医術で人々の病や悩みを解決します。鎌倉とその周辺の一風変わった観光案内でもあります。

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ホトトギスとウグイスの鳴き声が交互に聞こえる。峯山の山頂に渋柿坊が一人で立っていた。6月に入ったばかりで梅雨入りにはまだ間があった。

あきとの婚姻話しを証然和尚に持ち込んだ時、和尚はこう聞いた。
「分かった。証人になろう。ところで場所はどうする? おまえの事だ、仏前は嫌だというだろう」
「出来たら峯山の山頂でお願いします」
「うん? 山でか」
しばらく考えていた和尚は、
「それもよかろう。あそこなら海も不二も見える、そういう大自然の中で誓いの言葉を発するということだな」
そして続けた。
「二人でどういう誓詞にするか考えておいてくれ。わしが有り難い経を唱えるから、その後で二人でその誓詞を読み上げろ。わしがしかと受け止めてやる」

その後、渋柿坊は宴席に招待するために極楽寺の忍性を訪ねた。忍性は大和の西大寺の叡尊に何か相談事があるらしく旅仕度をしていた。
「それはおめでたい。あいにくわしは出ることができぬが、これからも今まで通り極楽寺に手を貸して欲しい」
そう言いながら一本の立派な錫杖を差し出した。
「今迄わしが使っていたものだが祝い品代わりに受け取ってくれ。今後ともよしなにな」

喜んで拝領した渋柿坊は、その杖を持って久しぶりに稲村ケ崎に向かった。
今年は雪が多かったらしく、この季節には珍しく五合目あたりまで真っ白な不二が見えた。足元には砂鉄成分の多い砂浜が広がっており、この浜から源爺が担ぎ込まれたっけと、渋柿坊は珍しく過去を振りかえっていた。

渋柿坊は、自分の人生は一人で切り拓いてきたと漠然と思ってきたが、考えるまでもなく現実にはそんな事はあり得ないことである。
過去に関わった数多の人々の顔が浮かび上がった。中でも育ての親である老師の顔が、打ち寄せる波間にも、見上げる不二の山にも浮かび上がり、思わず目頭が熱くなる。
「老師! ここまでどうにかやってきました。これからあきさんと新しい生活が始まります。どうか私たちを見守って下さい」

婚姻の当日、身支度に手間取るあきを残して一人峯山に上った渋柿坊は、改めて眼下に広がる光る海を眺め、また振り返って不二の山を見やった。
人間はもとより、生きとし生けるものは全てこの大自然の恵みを受けて存在している。そして大自然を作ったのは、唯一の神であると老師は教えてくれた。すると又老師の温顔が浮かび上がり、先日同様に熱いものが込み上げてきた。

下の方から朝日を浴びながら奇妙な一行が姿を現した。牛に乗るのは、お姫様座りしたあきであり、その牛を貫太が曳き、その後に証然和尚が続いている。

近づくあきを凝視していた渋柿坊は、この女性はかくも美しかったかと目を疑った。
あきは、反物から渋柿坊と自分のための小袖を仕立てた。その晴れ着を着ている上、顔に白いものをぬり、唇にほんのりと紅をさしていた。まさに文字通り化粧である。

証然和尚に礼を言うと、こんな言葉が返ってきた。
「こんな美しいにょしょうとならば、どこまでも歩いていけるわ。この果報者めが」

さっそく山頂での婚儀が始まった。山頂の山桜の根元に座った和尚が読経を始め、そのあと二人が誓詞を持ちながら声を合わせて誓いの言葉を発する。四方拝よろしく向きを替え乍ら唱えると、内容は平凡なものであるが何やら厳粛な気分となった。

「よかろう。その誓詞はわしが預かる。何かあったら、これを突き付けるからな」
と云いながら和尚は誓詞を巻いて懐に納めた。

一行が山を下りていく。今度は渋柿坊が牛を曳き、牛の上にはあきと貫太が乗っていた。
「いいよ、いいよ」
と尻込みする貫太を無理やり乗せたのである。貫太は明日の早暁に京へ立つことになっていた。手綱は貫太が持っているので、あきは落ちないように貫太をしっかりと抱いていた。あきは、このところ一段と逞しくなってきた息子を感じながら修行の無事を願っていた。

祝宴は昼前から始まった。山から下りた二人は素早く普段着に着替えると慌ただしく酒肴を整えた。今やここの名物ともなっている、ウナギ、ボラの卵、猪肉のほか、時分どきの真竹の筍をしょうちゃんが沢山持参したので、これのみそ焼きが供された。

宴たけなわとなり、やがて義父から促されて喜介が親縁寺踊りを始めた。喜介はさちが身ごもっているので喜平太ともども二人で参列していた。踊りを初めて知る者も多く、一同腹を抱えて転げまわる賑やかな宴となった。

一段落したところで、時継が立ち上がる。貫太の明朝出立に備えてこれから分かれ道の自宅に連れ帰るという。
渋柿坊とあきが見送りを兼ねて義政邸まで付き添った。ここから騎馬で帰る一行を見送った後、あきが八雲神社の前で長い間手を合わせていた。あきは、この辺りに来る度にこの神社が木曽神社を思い出させるといってよく手を合わせていた。

峯山庵に戻る道を歩きながらあきが言う。
「今、お参りしながら考えていたのですが、わたし昭子に戻ろうと思うの」
「それは本名だから当然だけど、急になぜ?」
「あの頃は、周りに気兼ねがありましたが今はその必要もないし、修行に励む貫太のためにも母としてちゃんとしていたいの」
「そうか。私も妻帯した身でご坊と呼ばれるのも気恥ずかしいから、玄海に戻ろうかな」
「それでは今井玄海となされませ。ただの玄海では収まりが悪いでしょう。ねえ玄海さん」
「うん? ということは私は入り婿か」
「どうとでも、ご自由にどうぞ」
「では、そうするか。昭子」

二人が手を取り合って、これからの新生活を楽しみに峯山庵に戻ってみると、だれも居ない筈の屋敷が賑やかである。しょうちゃんが声をかける。
「お帰りなさい。えらいさんが居なくなったので飲み直しているところです。吉次さんがいい酒を出してくれたので丁度よかった」
権兵衛が手招きをするので誘われて席につく。
「常陸国、鹿島の土産だそうです。この澄み酒は飲みやすい」
その頃飲まれていた酒は、殆どドブロクに近い濁り酒だったが、澄み酒は呑み易く旨い。

この分では、みな酔い潰れてしまい、新婚の夜を雑魚寝で過ごすことになりそうである。
「やれ、やれ、人生は思い通りにはいかぬものだ」
と内心愚痴りながら宴席に交わる。一方、昭子は素早く状況判断して、後片付けや雑魚寝の準備などに精を出していた。この辺りの臨機応変ぶりは女性の特技ともいえる。

昭子が近寄ってきて、手を触れながら囁く。
「今宵はお預けですね」
玄海の方はぎこちなく答える。
「あ、はい。あき、じゃあなくて昭子」

峯山庵だより、渋柿坊編 完        たちばな屋善作

07牛
花が散り、山桜が山の中にまたひっそりと消えた頃、荷車を牛に曳かせて塩原家の大番頭、萩原権兵衛が訪ねてきた。

あきからの便りで渋柿坊と婚約したことを知り、はるばる祝いに駆けつけてくれたのである。驚いたことに牛を二頭も連れている。恐縮する二人に権兵衛は、いやいやと手を振りながら説明する。
「当主が・・、塩原家のです。あの時お世話になったことでもあるし、箱田の木曽一族の代表として鎌倉に行ったらどうかというのです」

ついでだから鎌倉で商売してきてくれないかと荷車一杯の反物などを持たされてやってきたという。そして、今は小坪の吉次のところに厄介になっており、商売を兼ねて寺社詣でをやっていて、毎日が楽しくて仕方がないという。

「つまりは公休ということです。まあ、私への慰労という意味もあるのでしょう。わが当主は太っ肚です。それでこれがお二人へのお祝いの品です」
と云いながら男物と女物の練り絹を差し出した。低頭した二人に、さらに驚くべきことを云いだした。
「連れてきた牛のうち一頭と荷車を差し上げます」

権兵衛は、鎌倉に行くと決まってから木曽神社の神官、つまり箱田の木曽一族の長にあきの消息を伝えた。その話はあっという間に一族のなかに広まり、一族としても何か祝いの品を贈ろうということになった。
その時、あきの義兄がそういうことならば、わしが荷車を曳く牛一頭を差し出そう。そうすれば権兵衛が荷車を曳かなくて済むし、役目が済んだら牛をあきに渡して欲しいという。
義兄は、あきが鎌倉に出立してから内心びくびくしていた。問注所に訴えられたら勝ち目は無いし、たとえ地頭がうまく取り計らってくれたとしても、問注所から呼び出しがかかれば鎌倉に出頭することになり相当な痛手となる。
そこに、あきからの便りで訴訟の恐れが無くなったことを知り、安堵の胸を撫で下ろしたのである。

荷車の方は権兵衛からのお祝いだという。
「何を贈ろうかと思っていましたが、この山に上ってきてハタと思いつきました。日常品の荷揚げにも荷車を牛に曳かせればずい分楽になると思ったのです」

帰りに困りませんかと問う渋柿坊に権兵衛が答える。
「いや、帰りの荷は吉次に頼んで便で送ってもらいます。わしは牛に乗ってのんびりと帰ることにします。わしも元は武士ですから颯爽と騎馬駆けで帰りたいところですが、この歳です、牛の方が歳相応というものです」
と笑っている。

そしてあきに向かい、
「あきさん、どうだろう、義兄の意を汲んでもらえないだろうか。そりゃあ、土地屋敷を牛一頭でチャラにするなどとんでもないというかもしれないが、事を荒立てても得るものはそんなにありません」
問注所の実態は、どうやら地方にも知れ渡っているらしい。

「大番頭さん、私に異存などありません。有難く頂戴いたします。貫太の将来のこともメドが立っているので義兄との一件は無かったことにして下さい」
「よかった。これで箱田にもいい報告ができます。あのせまい地で一族内のもめ事を抱えていくのは耐えられませんからなあ。あきさん本当に礼を言います」
「大番頭さん、頭を上げて下さい。お礼を言うのはこちらです。あの時、大番頭さんに拾って頂けなければ今の私はありません」

渋柿坊が笑いながらいう。
「そういつまでも米つきバッタみたいに頭を下げ合っていないで! 権兵衛さん、今晩は泊まっていけるのでしょう? 自慢の風呂に入って寛いでください」
権兵衛も笑いながら答える。
「そうでした。ようやく大任を果たしたような気になり、つい米つきバッタになってしまいました。ところで先ほど貫太のことを云ってましたが、貫太がどうしたのです?」

当時の日本での医の分野では、京の和気家と丹波家が権威を二分しており、このうちの丹波家は、後漢の霊帝の子孫と称した志奴手直(しぬでのあたい)が帰化した丹波康頼を始祖とする名家であり、「医心方」を伝えていた。

医心方は、当時(984年)の日本に伝来していた医学書を全てを網羅した膨大な医書であり、無批判に紹介してあるだけだとの指摘もあるが、逆に殆ど遺失してしまった原書を現在に伝える貴重な書物ともなっている。勿論、当時の医師にとっては必須の教科書のようなものであり、渋柿坊もその内容を熟知していた。

渋柿坊は、貫太をその丹波家の内弟子にするべく働きかけをして、この程ようやくその許可を得たのである。もとより一介の民間医に過ぎない渋柿坊がどれほど頼み込んだところで受け入れられるはずもない。北条時継を介して北条政村に口添えをしてもらったことが功を奏したのである。

たまたま、時継の家人が京都大番役を任じられて京都に向かうので、その一行に加えてもらい京への旅も目安がついた。

京都大番役とは、御所や五摂家の警護役として派遣される幕府御家人の務めである。平家時代には任期3年とされていたが、源頼朝はこれを半年間と大幅に短縮した。勿論御家人の負担軽減のためであるが、これにより京、鎌倉間の往来も増えて街道整備が進んだという側面もある。

ともあれ、貫太の将来は順調にいけば丹波一派の医師として十分に保障されたと言ってよい。あとは、貫太自身が実務としての医療術をどこまで身に付けられるかである。
あきとしては、折角再会した息子と再び分かれることになるのでその点は痛し痒しであるが、前回の別れとは異なり前途に洋々たる将来を望めるので安心この上ない。

「大番頭さん。近じかここで婚礼の祝宴をはります。日にちが決まったらお伝えしますから吉次さん共々おいで頂けませんか」
「喜んで参じよう。善行寺詣でならぬ、牛に曳かれて峯山参りとなるな」
と権兵衛は上機嫌で、今から馴れておこうと牛にまたがりゆるゆると山を下りていった。


    第26話に続きます。   たちばな屋善作

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峯山にまた春が巡ってきた。梅の後に寒暖を繰り返しながら季節は進み、一輪また一輪と花がほころび始め、ある暖かい日に一気に咲き出した。

この頃になると西行法師よろしく、梢の花を見し日より心は身にも添わずなりけり、とばかりに毎日桜の様子を見に来る好きものが出てくる。

源爺もその一人で、今年が最後の花見になるかも知れないなどと云いながら山を見回っている。そんな源爺が、ある日興奮冷めやらぬ面持ちで帰ってきた。
峯山山頂に北条家の幔幕を張り巡らせて花見の宴を催していたという。以前にも北条政村公がここで花見をしていたことがあるので、今年もそれかなと思ったが、それにしては少し物々しい。

好奇心旺盛な源爺が、ひそかに覗いてみると、若い貴公子が主賓らしく、杯を片手に優雅な舞に見入っている。舞姫が退場した後に突如喚き声が上がり、はて?何処かで聞いたようなと思っていたら、なんとしょうちゃんがまさかりをぶら下げて立ち現れた。

花見の宴の余興に呼ばれたらしい。これは、これはと眺めているうちに妙技の披露が終わる。すると貴公子が立ち上がり「もう一度所望したい」といい、再びしょうちゃんがの的当てが演じられた。

貴公子は、感嘆の面持ちで近くにいた政村公に何事かささやく。どうも褒美のことで相談したようである。源爺が見たのはそこまでであったが、
「あれは、何かとてつもないご褒美が出たのではないか。これからしょうちゃんのところに行って聞いてくる」
と一人で騒いでいる。

夕刻、戻ってきた源爺の報告によると、貴公子は北条時宗公だという。
時宗は、つい先ごろ第8代執権に就いたばかりの若干18歳の若者である。しかし、以前から連署として政権に参加し、実質的な執権としての役割を果たしてきた。そして時宗に執権を譲った政村は、引き続き連署として時宗を支え続けていた。

時宗には名誉ある役職を得た喜びなどかけらもない。あるのは未曽有の国難ともいえる元の襲来にどう対処するかということである。

その困難さは誰にも解消できそうにないほど大きい。そのなかで最大の問題点は、この戦いに対し、どう士気を高め、維持するかであった。国内の戦いであれば、打倒した相手から所領などの富を没収して、これを恩賞として与えることが出来る。
元との戦いでは、たとえ打ち破ったところで敵は海の彼方に逃げ去るだけで、戦利品など望むべくもない。

恩賞の望めない戦に兵が奮い立つものであろうか。その上、戦う以前に、襲来に備えて長大な防御線を築かねばならない。また、兵力を長期間九州、中国地方にはりつける必要もある。これらの気も遠くなるような戦費をどう調達するのか。

どちらを向いても到底乗り越えられそうもない壁が立ちはだかっている。本音をいえば逃げ出したい心境であろうが、時宗は踏みとどまった。

先ずは、自分自身の気力を奮い立たせ、かつ平常心を失わないように、宗から招いた高僧にも教えを乞い、また、日常生活にも平静さを保った。日本国中の誰もがリーダーを見つめている。こういう時こそ、どう振る舞えばよいかよく理解していた。

政村が気晴らしにと誘ったこの花見の宴に、快く応じたのもその延長線上の行為であった。
源爺にはそんな事情は知るよしもないが、付け加えてこう云う。
「しょうちゃんは、名字を貰ったそうな」
時宗が政村と相談し、猪狩(いがり)の姓を与えたというのだ。破格の褒美である。姓を与えるには、しかるべき主従関係を結ばねばならない。そこで、北条時継の家人としてもらったのだそうである。

このことの意義は大きい。誰でも、たとえ武士でなくとも一流の技を習得し、それを認められれば、このような破格ともいえる恩賞を得ることが出来る。この事実が世に知れ渡れば、この徳の高い人のもとでひと働きしようと誰もが思う。時宗がそこまで意図したかどうか分からないが、結果的にはそのように働くことになる。この時代、徳の高い人とは高い得を与えてくれる人の意味も持っていた。

それで、しょうちゃんがこのような栄誉を受けたのも、峯山庵に関わりをもったことに由来するので、渋柿坊に挨拶にくるという。やってきたしょうちゃんが云う。
「お陰様で大変な名誉を受けました。時継様の家人としてひと働きするつもりです。それで、名前も猪狩勝一郎兼政ということになりました。今後ともよろしくお願いします」
「猪狩勝一郎兼政ですか。ずい分立派なお名前ですなあ」

「なに、たいしたことはありません。勝一郎は本名ですが兼政は時継公がつけてくれました。まさかりをひっくり返して「かりまさ」ではどうかとなったのですが、うまい字が見つからない。それでかりまさを兼政としたという次第です。時継公という方は気さくで剽軽な方です。一ぺんに好きになりました」
「アハハ!、そういうことですか。娘の得子姫を得てから時継公は人が変わりました。出世のことなど一切考えずに、自分の出来ることを誠実にこなしています。今の世にあって稀有な人材です」

「時継公からも、必要なときにはこちらから呼び出す、それ以外は今まで通りに暮らしてよいと言って頂きました。そう言われると一層忠勤に励みたくなります」
「そうでしょう。ただ、あまり忠勤に励んでお屋敷の立ち木が一本も無くなるようだと困りますよ」
「そうですなあ、私は立派な木があると、つい切り倒したくなりますから気をつけることにします」

渋柿坊が改めていう。
「それにしても、これから一生、まさかりならぬ兼政を背負って生きることになるので、しょうちゃんもよかったではないですか」
「そういうことになります。有難いことです」

そこに貫太が割り込む。
「おじさん。これからは、まさかりを逆さに持って歩けばいいじゃん」
渋柿坊が楽しそうにいう。
「貫太。いいことを云う。そうすれば、人が見て必ずこう云う<あれが猪狩勝一郎? まさかね?> これはいい、どうですしょうちゃん」

こんな戯れ言をいわれてもしょうちゃんはニコニコしていた。
因みに、猪狩勝一郎がいつも、まさかりを逆さに持っていたという記録は、吾妻鑑には見当たらない。

    第25話に続きます。   たちばな屋善作

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